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岐阜地方裁判所大垣支部 昭和49年(ワ)100号 判決

原告 日比野欽一

被告 東邦生命保険相互会社 外四名

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告-請求の趣旨

被告らは、各自原告に対して金三、〇〇〇万円及び本訴状送達の日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は、被告らの負担とする。

仮執行の宣言。

二、被告ら

1、被告吉田郁子、同近澤千賀子、同吉田豊茂及び吉田美栄子(以下この四名の被告らを被告吉田ら四名という)-本案前の抗弁

原告の被告吉田ら四名に対する請求を却下する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

2、被告ら全員-請求の趣旨に対する答弁

主文同旨。

第二、当事者の主張

一、原告-請求の原因

1、原告は、被告東邦生命保険相互会社(以下被告東邦生命という)との間で、昭和二九年一二月八日、別紙目録記載の宅地、家屋(以下本件不動産という)を代金六五万円で買受ける旨の契約をなし、訴外亡吉田正二(以下亡吉田という)は、この売買について売主である同被告の保証人となつた。

2、当時、本件不動産は訴外岡崎卯吉(以下岡崎という)所有名義であつたが、左の事情があつて被告東邦生命が、これについて一切の処分権を有していたものである。即ち、

(一) 岡崎は、被告東邦生命の保険代理店をしていたものであるが、同被告のため預り保管中の生命保険料合計金一五二万一、六七四円を費消横領し、同被告に同額の損害賠償債務を負うところとなつた。そこで、同被告は、昭和二八年一二月二〇日この賠償債務を準消費貸借に改め、その担保として本件不動産に順位二番の抵当権を設定した。

(二) しかし岡崎には、この債務を支払う能力がなく、かつ、その所有にかかる本件不動産も既に訴外大垣信用金庫のため極度額三〇万円の根抵当権が設定してあり、岡崎は、他に資産もなかつたので、同人は、本件不動産を同被告において自由に売却その他の処分をし、その売得金をもつて右の債務の支払に充当する旨申出、同被告もこれを了解し、よつて同被告は本件不動産の処分権を取得するに至つた。なお岡崎はその頃しばらく行方を晦ませた。

(三) そこで被告東邦生命の当時の大垣支部長である訴外石塚一郎(以下石塚という)は、同鹿野章(以下鹿野という)らに依頼し、本件不動産の買手をさがしていたところ、原告は、鹿野を通じて本件不動産が売出されていることを知り、石塚の仲介によつて同被告に買受け方を申込み、交渉の結果、昭和二九年一二月八日、売主側として石塚、当時の被告東邦生命の岐阜支社長訴外末松重之助(以下末松という)及び本社清算課長訴外竹内一夫、保証人として前記亡吉田、他方買主側は、原告とその母及び知人一名が出席し、代金総額六五万円(内訳代金六二万五、〇〇〇円、謝礼及び費用二万五、〇〇〇円)にて売買契約が締結された。

3、原告は、この契約に基づく代金として同月一〇日、六万円、翌三〇年一月七日、三〇万円を被告東邦生命に支払い、同年三月一四日、同被告は、本件不動産を原告に引渡し、原告は家族と共に居住を開始した。その後、原告は、残代金を提供して、その受領と本件不動産の移転登記を同被告に再三求めたが、同被告はこれに応じなかつた。

4、ところが、被告東邦生命は、前記のとおり、本件不動産を原告に売渡したものであるにもかかわらず、不法にも本件不動産につき前記抵当権による競売申立をなし、昭和三一年一二月六日、競売開始決定があり、同三二年二年二五日、あろうことか同被告の岐阜支社長である前記末松が競落し、同年三月一二日、同人のため右競落による所有権移転登記がなされた。

5、末松は、原告に対し本件土地明渡の訴を提起(当庁昭和三二年(ワ)第四九号)した。原告は、同人は、本件売買契約の売主側にあつたもので、登記なくしても対抗でき、明渡は許されないものである等と争つたが、昭和三六年九月一六日請求認容の判決があり、原告は右判決に対し控訴(名古屋高等裁判所昭和三六年(ネ)第四八五号)及び上告(最高裁判所昭和三八年(オ)第一〇一三号、以下右一連の訴訟を別訴という)をしたがいずれも棄却され、結局この判決は、昭和四〇年一一月九日確定した。そこで原告は判決に従い、止むを得ず昭和四一年一月二〇日頃、本件不動産を同人に明渡し最終的にさきの売買契約は履行不能となつた。

6、よつて、被告東邦生命は売主として、買主たる原告に対し右売買契約の履行不能による損害を賠償すべき義務を負い、亡吉田はその保証人として、同賠償義務を負うものである。

7、ところで亡吉田は、昭和四五年二月五日死亡し、同人には相続人として妻である被告吉田郁子、子である同近澤千賀子、同吉田豊茂、同吉田美栄子らがあり、この被告ら四名が、同人の本件債務を合有的に相続した。

8、原告は本件不動産を買受け、引渡を受けるや屋根瓦、雨樋の取替、店舗改装、畳、建具、電気工事、炊事場、風呂場の建築等合計約五〇万円を支出して洋服仕立業の店舗と居宅に適するように補修したのであるが、前述のとおり被告らの不履行により全てが無に帰した。右債務不履行による損害は次のとおりである。

(一) 本件土地に代る損害(三、四〇〇万円)

本件土地の時価は、三・三平方米当り五〇万円を下らないので、その損害額は三、四〇〇万円である。

(二) 本件建物に代る損害(二八二万五、〇〇〇円)

本件建物の時価は、三・三平方米当り一〇万円を下らないので、その損害額は二八二万五、〇〇〇円である。

(三) 逸失利益(五三〇万円)

原告は幼少の頃、関節炎を患い、身体障害者となり、そのため通常人と同様に労働ができないので、長年月かけて技術を習得し、本件不動産にて洋服仕立業を営んでいたものであるが、右の事情で、これを廃止せざるを得なくなつた。

原告は、本件不動産の代金及び前記補修のための資金は長年に亘り貯蓄した全財産であり、再びかかる多額の資金を用意することは原告にとつて不可能であり、遂に今日に至るまで洋服仕立業を営むことができず、原告は不具な体にかかわらず、会社勤めをして生活を維持しているものであるが、右会社勤めでは洋服仕立業の収入よりはるかに低額の収入しか得られず、その差額は月五万円は下らない。よつて、一か月五万円の割合で昭和四一年一月一日より昭和四九年一〇月まで(一〇六か月)合計五三〇万円の損害を蒙つた。

(四) 慰藉料(五〇〇万円)

原告は、前述のとおり、非常な苦労をして、洋服仕立の技術を習得し、やつとの思いで、本件不動産を買求め、生涯の生活の基盤にしようとしたものであり、被告らは、原告の右事情を十分に知つておりながら、無慈悲にも前記のとおり本件売買契約を履行不能にし、これにより原告の全資金を喪失せしめ、再び洋服仕立業ができなくし、遂に原告の一生の計画を狂わしめたものであり、これがため原告は筆舌に尽し難い悲しみを受け、その精神的苦痛は慰藉料五〇〇万円に相当するものである。

9、よつて、原告は被告らに対し前8項の各損害につき(一)の内二、三〇〇万円、(二)の内二〇〇万円、(三)の内二〇〇万円、(四)の内三〇〇万円、合計三、〇〇〇万円及び本訴状送達の日の翌日(いずれの被告についても昭和五〇年四月二七日である)より完済まで年五分の割合による民法所定の遅延損害金の支払を求め本訴に及んだ。

二、被告ら-請求の原因に対する認否

1、被告東邦生命

(一) 請求原因1の事実は否認。

(二) 同2のうち冒頭部分中、本件不動産が岡崎所有名義であつたことは認めるが、被告東邦生命が本件不動産について一切の処分権を有していた事実は否認。

(一)の事実は認める。

(二)の事実中、被告東邦生命は処分権を取得した点は否認、その余は認める。

(三)の事実は否認。

(因みに原告と被告東邦生命間に、原告主張の如き売買契約が締結された事実はない。)

(三) 同3の事実は否認。

(四) 同4の事実中、「被告東邦生命は、前記のとおり本件不動産を原告に売渡したものであるにもかかわらず、不法にも」の点は否認、その余は認める。

(五) 同5の事実中、原告が本件不動産を訴外末松に明渡した事実は不知、その余は認める。

(六) 同6の事実は否認。

(七) 同7の事実は不知。

(八) 同8の事実は不知。

(九) 同9の事実は争う。

2、被告吉田ら四名

請求原因事実のうち7の相続関係は認める(但し、本件債務の相続は否認)が、その余は全て不知。

三、被告ら-被告らの抗弁及び主張

1、被告吉田ら四名-本案前の抗弁事由

本件訴訟は、当初死者(亡吉田)を被告として提起されたものであつて、これに基づいて訴訟が係属中、後にその死亡が判明し、原告は新たに被告をその相続人(被告吉田ら四名)に変更したものであるが、かかる変更は、単なる当事者の補正手続ではまかないきれず、当事者の実在を欠いた前訴訟との間に同一性を失つているから不適法として却下すべきものである。

2、被告ら-本案の抗弁

(一) 被告ら全員

(1)  消滅時効の援用

(イ) 原告主張の本件損害賠償債権が、たとえ理由ありとして正当であつても、これは商人たる被告東邦生命がその営業のためになした商行為たる売買契約上の債務の不履行によるものであり、亡吉田はこれを保証したものであるから、いずれも五年間の商事時効により当然消滅すべきものである。また仮に然らずとしても、一〇年間の民事上の時効により消滅するはずである。

(ロ) 而して右時効の起算点は、(い)原告が売買契約が成立したとする昭和二九年一二月八日、又は、(ろ)末松が所有権移転の登記手続を完了した昭和三二年三月一二日、若くは、(は)末松より原告に対する別訴土地明渡訴訟の訴状が送達された昭和三二年九月四日であるところ、原告の本訴提起のときは、右五年あるいは一〇年を経過している。

(ハ) 更に、時効の起算点を原告と末松との別訴土地明渡訴訟の原告敗訴判決が確定したる昭和四〇年一一月九日としても、本訴提起から五年を経過している。

(ニ) 被告らは、本訴において右の時効を援用する。

(2)  免責

本件不動産の売買が仮に原告と被告東邦生命との間でなされたとしても、これは民法五六〇条、五六一条の他人の権利の売買であるところ、原告は契約の当時、権利が売主に属せざることを知つていたのであるから、被告東邦生命が売却した権利を原告に移転することができなかつたからといつて、原告はこれによる損害賠償を請求し得ない。

(二) 被告東邦生命

原告の主張する本件不動産の売買契約は、訴外岡崎を売主とし、原告を買主としてなされたものであり、被告東邦生命は、本件不動産の単なる担保権者にすぎず、その処分権を有しないことは勿論、まして売主でもない。従つて、被告東邦生命が売主の義務不履行の責任を問われる理由は全くなく、原告の本訴主張は失当である。

(三) 被告吉田ら四名

(1)  一般に不動産の売買については、目的物について売主の処分権が制限されている場合のほかは、売主の側に保証人が要求されることは極めて稀であるところ、本件売買については当時売買の当事者双方とも、とくに障害となるような客観的な事情はなかつたから、亡吉田が敢て売主の側に立つ保証人の地位に就いたことはあり得ない。

(2)  亡吉田が、岡崎の委任もなく、本件売買について敢て代理人として関与したのは、売買自体は、岡崎の意思に反しないと推察したからであり、もし亡吉田に責任があるとすれば、その推察がはずれ、岡崎の意思に反した場合に限るものであるところ、亡吉田の行為は結果的には岡崎の意に合致しているから、原告に対して何ら責任を問われるいわれはない。

四、原告-被告らの主張と抗弁に対する答弁

1、全て否認する。

2、(一) なお被告東邦生命の営む相互保険業務は、商法五〇二条の商行為ではなく、また、同被告は、特殊法人であつて商人でもない。従つて同被告の行為が同法五〇三条の商行為たることはないから、原告の請求する本件債権は、民法一六七条(の一〇年間の消滅時効)の適用があるものである。

(二) 而して本件債権の消滅時効の起算日は、原告と末松との家屋明渡訴訟につき、上告審判決の言渡された昭和四〇年一一月九日であり、時効の完成は、昭和五〇年一一月八日であるところ、本訴は、それ以前に提起されているから、その時効の進行は中断されている。

証拠関係〈省略〉

理由

第一、被告吉田ら四名の本案前の抗弁について、

一、被告吉田ら四名の本案前の抗弁については、講学上いわゆる訴訟における当事者の確定の一分野で、任意的当事者の変更の事例としてその許否が従来より論議されてきたところである。これを不適法として一蹴する見解も十分傾聴に値するが、訴訟の実際において、これを適法として認める必要性が存在することもまた事実である(例えば、実務において誰を被告とすべきか見解がわかれていたり、原告の立場上、被告の生死を一々確知し得なかったり、被告の死亡が訴状提出の寸前の場合)。-以下において亡吉田を旧被告、被告吉田ら四名を新被告らともいう。-

二、記録によれば、原告が当事者を変更する旨の申立書を陳述したのは、昭和五〇年七月一〇日の第五回口頭弁論期日であり、新被告らも、右期日にこれに対する異議を述べていることは明らかである。

三、しかし、新被告らの右異議があつたまでの間、本訴は、ほとんど実質審理がなされておらず、旧被告が訴訟追行行為を何らなしていないのは勿論、わずかに原告が第二回口頭弁論期日(昭和五〇年三月二七日)に記録顕出の申立をなし、裁判所がこれを採用し、これにもとづき、原告が第四回口頭弁論期日(同年五月六日)に甲第一、二号証を提出したにとどまる。

四、ところで、裁判所が、新被告らの主張を容れて、本件当事者の変更を不適法として却下したとしても、訴訟要件が具備している以上原告が新被告らに対し、改めて訴えを提起すれば(そして原告の新被告らに対する再訴はほぼ確実といつてよい)、新被告らがこれに応訴せざるを得ず、結局は、新被告ら自身も、旧訴訟が請求却下されたからといつて格別利益があるとは思われず(新被告らの時効の援用も、この時点において、訴え却下の判決により特に左右されるものとも窺われない)、却つてそのまま訴訟を係属させた方が、実際上便宜で訴訟経済に合するばかりでなく、迅速な紛争解決の理念にも則ると言わなければならない。なお、当事者を変更しても、新被告らに適法な送達がなされない以上(そして本件では現にこれがなされている)、訴訟の適法な審理は進められないから、これによつて新被告らに特別の不利益を与えるおそれもない。

五、しかも本件は、一般の当事者変更とおもむきを異にし、旧被告として表示された者が死亡により実在しない場合であるから、特別(例えば一身専属的)の権利関係が存する場合は格別、原告としては、旧被告に特に限つて提訴したものではなく、その死亡の事実が判明すればその包括承継人である新被告らに対して当然同様の請求をなす意思を有することは客観的にも明らかである。即ち、本件当事者の変更は、前訴と後訴で被告が実質上同一であり、講学上「当事者の表示の訂正」と同視し得るものと言つてよい。これに加えて、請求の基礎たる法律関係の本質的部分も、前訴、後訴を通じて全く同一である。

もとより当事者の確定は、訴訟の本質的要素であり、法律や権利義務関係の不安定を防止し、軽卒な濫訴をいましめるためにも、記載された当事者の表示に則り、厳格に解すべきであり、その観点からすれば本件訴訟の提起当時、旧被告が死亡してから既にほぼ四年を経過しており、原告においてその発見は容易であつたから、原告の事前の調査が不十分であるとの譏りは免れないから、本件においては、当事者変更の時期、変更の事由、当時の審理の進行程度等右の事情に鑑み、被告の変更を許したとしても、当事者間に係属する訴訟手続の安定を害するとは未だ断じ難いし、右は当事者の表示の合理的な解釈の範囲内にあると言うべく、結局被告吉田ら四名の同意の拒絶(異議)は濫用と言わざるを得ず、その本案前の抗弁は失当であるからこれを採用しない。

第二、本案について、

一、本件の中心的争点である、本件不動産の売買の当事者、殊に売主が誰であるかについて判断する。

1、いずれの当事者間にも成立につき争いのない甲第一(第一審判決正本)、三(第一審岡崎証人調書)、一五(末松本人調書)、一九(末松本人速記録)、二五(家屋登記簿謄本)、二六及び三四(いずれも土地登記簿謄本)によれば、

本件不動産は、もと岡崎の所有であつたところ、これを末松が、岐阜地方裁判所大垣支部昭和三一年(ケ)第四六号不動産競売事件において、別紙目録(二)記載の家屋については、昭和三一年一二月六日競売開始決定、翌三二年二月二五日競落許可決定を経、代金二三万一、五〇〇円を支払つて、同(一)記載の宅地については、同じく昭和三一年一二月六日競売開始決定、翌三二年七月二三日競落許可決定を経、代金二六万円を支払つていずれもその所有権を取得し、前者は同年三月一二日、後者は同年八月二四日、その旨の登記手続を完了した(但し右事実のうち、家屋の競落に至る経緯に関しては、原告と被告東邦生命の間には争いがない)ことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2、次にそれまでの経過であるが、前掲各証拠といずれの当事者間においても成立に争いのない甲第二(控訴審判決正本)、四(第一回吉田証人調書)、六(安藤証人調書)、七(第一回石塚証人調書)、八(鹿野証人調書)、九(内山証人調書)、一〇(竹内証人調書)、一三(第二回吉田証人調書)、一四(第二回石塚証人調書)、一六(日比野本人調書)、一八(同速記録)、二〇(控訴審岡崎証人調書)、二一(上告審判決正本)号証及び原告本人尋問の結果とこれによつて真正に成立したと認められる甲第二二(土地家屋売買契約書)、二三の一、二(領収書)によれば、

(一) 岡崎は被告東邦生命の大垣代理店をしている間に、集金した生命保険料を費消横領したため、昭和二八年一二月二〇日、同被告との間に右横領による損害賠償債務一五二万一、六七四円を目的として準消費貸借を結び、その担保として同人所有の本件不動産及び岡崎隆吉所有の不動産等に順位第二番の抵当権を設定したこと、岡崎は他に資産がなく、しかも、本件不動産には同人の大垣信用金庫に対する手形取引上の債務のため極度額三〇万円の第一順位の抵当権が設定されている等の事情があつて、到底、同被告に対する債務を完済できる見通しがなかつた(但し、右の事実は、原告と被告東邦生命の間には争いがない)。

(二) そこで岡崎は、昭和二九年五月か六月頃、被告東邦生命の代理店をやめたが、その際、同被告に対する残債務返済のため、本件不動産等自己が所有するすべての財産を投げ出して、当時の被告東邦生命本社精算課長松浦某に対し、財産の処分方を同被告に委せるとの白紙委任状を提出し、かつ同被告に対し、「これだけで勘弁してくれ。」「自由に処分してくれ。」あるいは「財産全部は、東邦生命に(処分を)委せた。」等と言い残して(以上これを岡崎発言という)、居住地を離れ、しばらく行方を晦ませていた(但し、右事実のうち、岡崎が居住地を離れ、しばらく行方を晦ませていたことは、原告と被告東邦生命の間に争いはない)。

(三) ところが一方、大垣信用金庫は昭和二九年七月、右抵当権に基き本件不動産に対し競売を申立てたので、被告東邦生命は競売において低い価格で競落されるのを虞れ、さきに認定した岡崎の発言に基きできるだけ高額に任意売却のできるように当時同社大垣支部長であつた石塚一良らをして買主を物色させた結果、折柄、本件不動産が売りに出されているのを柳瀬某、鹿野章から聞き及んだ原告から、その買受の申出があつた。

(四) 一方岡崎の被告東邦生命に対する前記債務の保証人であつた亡吉田は、同被告からしよつちゆう呼び出しを受け、その債務の解決を迫られていたので、岡崎の保証人という開係もあつたから、岡崎の前記発言の意を体し、本件不動産をできるだけ高額に売却し、主債務者たる岡崎や、連帯保証人である亡吉田、安藤伝三のためにその取得金をまず岡崎の同被告に対する債務に充て、保証人らの責任を少しでも軽減したいとの被告東邦生命の石塚や末松らの思惑と一致し、本件不動産を売るについて岡崎の代理人として石塚や末松らと話し合いに入つた。

(五) こうして、原告は、同年一二月一〇日、本件不動産を六五万円で買い受け、契約書を作成してその所有権を取得したとして、右代金のうち、まず六万円を同日亡吉田に、次いで三〇万円を翌三〇年一月七日に石塚に支払い、その頃上記三六万円を亡吉田及び石塚両名が、大垣信用金庫に持参して、三〇余万円の岡崎の債務を同金庫に弁済して第一順位の抵当権を消滅させ、余剰金を同人名義で預金した。

(六) その結果、当時本件家屋には、被告東邦生命の社員内山幾夫らが居住していたが、石塚が指示して同人らを退去させてこれを原告に引渡し、原告は三月一四日家族とともにここに居住を開始し、かつ約旨に則り同月一日以降残代金を提供し、その受領と本件不動産の移転登記手続を石塚や末松に再三求めたが、同人らはこれを拒絶した。

(七) しかるに、前記のとおり、末松は競落により本件不動産の所有権を取得し、その旨の移転登記を受け、かつ原告に対し本件土地明渡の訴えを提起(当庁昭和三二年(ワ)第四九号)したので、原告は、これに応訴し、その訴訟において、同人は、本件売買契約の売主側にあつたもので、登記なくしても対抗でき明渡は許されないものである等と争つたが、昭和三六年九月一六日請求認容の判決があり、原告は、右判決を不満とし、控訴(名古屋高等裁判所昭和三六年(ネ)第四八五号)及び上告(最高裁判所昭和三八年(オ)第一〇一三号)をしたが、いずれも棄却され、結局この判決は、昭和四〇年一一月九日確定したため、原告は止むを得ずこの判決に従い、昭和四一年一月二〇日頃、本件不動産を末松に明渡した(別訴の経緯については、原告と被告東邦生命の間に争いはない)。

3、以上の事実が認定され、他にこれを覆すに足りる証拠はない。そこで更に右認定事実を踏まえ、経験則を併せて前記各証拠を仔細に検討(但し、いずれも後記措信しない部分を除く)し、考察を重ねると、

(一) さきの岡崎発言は、一般的に類型化すると、同人が、被告東邦生命に対し、本件不動産について、(イ)所有権を移転した趣旨、あるいは同被告が、(ロ)同人の代理人となつて売買その他の処分をすること、若しくは、(ハ)他人の物としてこれを処分(いわゆる第三者の物の売買)すること等の諸権限を承諾した旨の意思表示と解されなくもない

(二) しかしながら他方において

(1)  被告東邦生命は、岡崎の息子で同人の物上保証人である岡崎隆吉名義の建物については、同被告の事務所開設の必要上、これを岡崎隆吉から買い受けて、現にその取得手続を経ながら、本件不動産についは、代物弁済等を原因とする所有権移転登記手続をなしていないこと

(2)  被告東邦生命は、もとより保険会社であり、岡崎より蒙つた損害さえ回収できればそれで目的は十分に達せられ、特に本件不動産を取得しなければならない必要性は乏しく、却つて同被告が不動産(殊に家屋)を取得すれば、その維持や管理、換金等の事務が煩瑣で、同被告としては特にそれを望んでいた様子も窺われないこと

(3)  被告東邦生命は、岡崎との準消費貸借契約の更改について、本件不動産に対し、第二順位の抵当権を設定し、かつこれに併せて公正証書を作成していたから、これらによつて岡崎の右債務に対し直ちに強制執行に着手でき、債権の満足を得る状況にあつたこと

(4)  当時、右に述べた岡崎隆吉名義の建物については、その抵当権は既に実行され、被告東邦生命の岡崎に対する残された担保物件は、本件不動産のみであつたところ、これについても前認定のとおり、先に大垣信用金庫の極度額三〇万円の第一順位の抵当権が設定され、ついで第二順位に同被告の一五二万一、六七四円の抵当権が登記されていたが、このうち、同被告に対する岡崎の残債務は、元本(三八万円)と利息(一六万余円)併せて五四万余円で、結局本件不動産を目的とした被担保債務は、まだ八四万余円であり、同被告が売買の一方の当事者となつて、これより低価格の六五万円で、あえて本件不動産を原告に売却する事情は認められないこと

(5)  むしろ右の事情があつたからこそ、被告東邦生命は、右不足額一九万余円の回収に苦慮し、末松らは、原告及び岡崎の保証人亡吉田らに、一部利息を免除するからその差額を支払つて被告東邦生命、岡崎、原告あるいは保証人間の債権債務関係を全て清算するよう再三に亘つて説得し、約二年間これを待つたが、原告や亡吉田らがこれに応じなかつたので、結局同被告は本件不動産については後記(6) のとおり、第三順位の抵当権も設定されていたから、弁済確保のため、本件不動産の競売申立のやむなきに至つたこと

(6)  更にまた本件不動産については、昭和二九年五月一八日、亡吉田分二〇万五、〇〇〇円他四名合計九九万円の共同担保として第三順位の抵当権が設定されていること

(7)  岡崎は、さきの如く、被告東邦生命に白紙委任状を提出したほかは、本件不動産の処分について、他人に対し代理権の授与をしたことはなく、ことに亡吉田及び石塚もその売却について委任を受けたことはないこと

(8)  被告東邦生命の組織としては、元来代理店の貸金等の精算は、本社が直接その衝にあたり、支社や支部は全くこれに干与せず、何らの権限もないが、ただ、本件の岡崎に対する未精算代金について、本社精算係長竹内が、岐阜支社に対し、その取立の委託をしたことはあるけれど、同支社がそれ以上に更に進んで、担保物件を処分することまでも本社から指示されたことはないこと

(9)  被告東邦生命は、本社の竹内においても岐阜支社の末松においても、岡崎の債務の回収のため、同人から担保物件の提供を受けこれを確保したとの認識があるにすぎず、それ以上に岡崎から本件不動産を同被告もしくは末松が勝手に処分をしてもよいとの権限を与えられたとまでは了解していないこと

(10) 本件不動産について、原告から買い受け方の申込みがあつた昭和二九年一二月初旬頃、竹内が大垣を訪れ、その際、岡崎宅で、被告東邦生命側の竹内、末松、石塚が、岡崎の保証人亡吉田及び安藤伝三と協議し、本件不動産を出来るだけ高額で売却するとの大略の方針決定があつたにとどまり、買主を原告、代金を六五万円、その他支払方法等の細部についてまで約定した本件不動産売買契約が成立したのは、同年一二月一〇日であつて、その席には、末松や竹内は居あわせておらず、岡崎は既に認定のとおり行方を晦ましていたこと

(11) このときの売買契約書(甲第二二号証)や代金の受領証(甲第二三号証の一、二)は、いずれも売主側として岡崎卯吉又は岡崎隆吉の代人あるいは代理吉田正二と記載してあり、これらの書面からも、本件不動産は、原告が岡崎から同人の代(理)人亡吉田を介して買い受けたものであること

(三) 以上の諸事実を総合勘案すると、本件不動産の当事者は、既に確定した別訴判決で判断されている通り、原告が買主であつて、売主は岡崎と断ぜざるを得ず、被告東邦生命が、(イ)本件不動産の所有権を取得し自ら、(ロ)あるいは他人(岡崎)の物として売主の立場で(ハ)更には、岡崎の代理人となつてこれを原告に売却したものとは到底思料することができない。岡崎の発言が、右のような趣旨であつたとしても、少くとも被告東邦生命や末松がこれに応じて、岡崎の意思を実現しようとする意向があつたとかそのように振舞つたと認める証拠はない。これに反して、本件不動産の売主が被告東邦生命ないしは末松とするいずれの当事者間においても成立につき争いのない甲第五(第一回日比野永吉証人調書)、一一(日比野あさの証人調書)、一二(第二回日比野永吉証人調書)号証は、日比野永吉や日比野あさのらが何の根拠もなく単に左様に思い込んでいるだけで、到底信用できず、同甲第六(安藤証人調書)号証も信憑力はなく、これと同旨の前掲甲第四、一二、一六、一八号証及び原告本人尋問の結果(いずれも一部)はさきの各証拠や既に認定済みの事情に照らしてにわかに措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(四) なお、本件不動産の売買につき、その交渉の当初、末松や竹内がその価格は漠然としたままともかく売却されることに賛意を示したことや、岡崎が行方を晦していた間、本件家屋を石塚が管理し、輩下の内山幾夫らに住まわせ、売却後は、石塚が命じて内山らを立ち退かせて、これを原告に引渡したことは認められるが、既に屡々明きらかにした如く、本件不動産は、もともと岡崎所有のものであるから、これが原告に売り渡されたものとの前提での被告東邦生命の社員らの右行動は、上記認定と何ら矛盾するものでなく、これらをもつて、被告東邦生命が、売買の当事者と解するのは、余りに飛躍のある推論と言うべきである(因みに、末松は本件家屋に原告を案内したり、内山らにここから退去するよう命じたと認める証拠はなく、これに関する前掲甲第一六、一八号証の一部や原告本人尋問の結果の一部は、たやすく信用できない)。

(五) 一方岡崎所有の本件不動産を原告に売却するにあたり、その仲介に立つた石塚や亡吉田は、これについて岡崎から明示的にも、黙示的にも何らの代理権を授与されていないにもかかわらず、岡崎の意思を勝手に忖度して価格を決定し、かつ原告からの代金の一部を受領し、ことに石塚は、本件不動産が売りに出されたいきさつについて、何の事情も知らない原告に対し、これを説明したり、抵当権の存在や残債務額等の重要な事項を告知しないで、自ら契約内容を起案し、これを妻に浄書させてその書面を作成し、かつ原告から三〇万円を受け取る時には、亡吉田の名義を冒用して領収証(前掲甲二三号証の二がこれである)を発行するなど極めて軽卒かつ無責任にも岡崎に無断で原告に売り飛ばしたことが認められる。そして岡崎は、後にも石塚や亡吉田らの右の無権限(無権代理)な行為を相手方たる原告に対し、追認したと認める証拠はないから、結局、本人たる岡崎と原告との間には、本件不動産に関する売買契約は、その効力が発生していないと言うべきである。また、上来の諸事実に鑑みれば、原告と被告東邦生命間には、岡崎の表見代理の問疑を生ずる余地もないといわなければならない。

(六) なお、岡崎の前記発言をもつて、亡吉田や石塚がなした売買行為についての代理権の授与ないしはその追認と擬制し得たとしても、そもそも原告は、抵当権が付着した本件宅地、家屋を買い受けたものである(原告が、これについて不知であつたとしても、その登記がある以上、原告の過失でこそあれ、これをもつて何の弁解をもなし得ない)から、後にその設定権者である被告東邦生命が、これに基づいて競売を申し立て、末松がそれを競落したまでのことであり、岡崎からみて、一方(原告)は買受人、他方(末松)は競落人であるから、表面的には、二重譲渡の様相を呈するが、いわゆる登記の先後によつて優劣を決する対抗力の問題を生ずる余地はない。

二、前掲甲第四、七、一二及び一五号証によれば、亡吉田が、岡崎の被告東邦生命に対する損害賠償債務あるいはこれが更改された後の準消費貸借債務について、他一名とともに保証人であつたことは認められるが、本件売買契約について、被告東邦生命のもしくは売主としての債務を保証したとする証拠は、原告本人尋問の結果以外になく、右原告本人尋問結果は、到底信用できない(なお、前掲甲第二二、二三号証の一、二の岡崎「代人」又は同「代理」吉田正二の文言も、亡吉田が、本件不動産売買について、売主たる岡崎の無権代理人の役割を演じたとの証左にすぎない)。

三、原告において本訴提起に及んだ事情について同情すべきものがあつたとしても、岡崎に対して履行不能の責任あるいは亡吉田や石塚に対して無権代理人の責任を追及するのはともかく、以上の如く原告が主張する本件不動産の売買契約の売主が被告東邦生命でその保証人が亡吉田であると認める証拠がない以上、これを前提として被告東邦生命に対して履行不能に基づく損害賠償債務、亡吉田の相続人被告吉田ら四名に対してその保証債務の履行を求める原告の本訴請求はいずれも理由がないからその余の判断をするまでもなく失当としていずれもこれを棄却し、訴訟費用の負担については、民事訴訟法八九条を適用し、よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 丹羽日出夫)

(別紙) 目録〈省略〉

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